第十章 赭観の暁
「ココノエは居るか……!?」
 勢いよく扉を押し開けて、ラグナはカグラの執務室に飛び込んだ。セリカが止める声も無視して、彼は部屋に入るや否や中を見回した。デートから帰るには早い、などと茶化すカグラを無視して部屋を探すと琥珀色の瞳をした秘書官、ヒビキが困ったように口を出す。
「ラグナさん、ここは一応総領主室なんですが。ノックくらい……」
「うるせぇ、テメェは黙ってろ!」
 ヒビキの苦言を怒鳴り声で一蹴するラグナ。その後ろから、少し遅れてノエルがやって来る。走るラグナを全力で追いかけたのだろう、息を切らしていた。
 それを見て、尚更驚いたようにカグラが口を開く。
「何だ何だ、皆を引き連れて……何かあったのかよ」
 戻ってきたと思えば怒りを露わにしていて、連れる人物達も困った様子。何があったのかは分からないが、ただならぬことがあったのは分かる。故の問いだったのだが。
 ラグナは、大ありだと叫びたかった。けれど、それをぐっと堪えて、代わりに低い声で問う。テメェも知っていたのかと。けれど、カグラにとっては説明もなしのその問いだ。一体何を知っているというのかさっぱり見当もつかなかった。話が見えない、こぼすカグラにラグナは舌を打つ。話にならないと考え、代わりにココノエの居場所を聞こうとしたところで――。
「私はここにいるが。……なんだ、騒々しい。まぁいい、それよりもカグラ、話が……」
 丁度隣の部屋――今はエレベーターとして改造された元カグラの私室から、桃色の髪を揺らして彼女は出てきた。
「久しぶりだな……ココノエ」
 目を見開き、犬が威嚇で唸るような低い声で彼が言う言葉。カグラに話しかけようとしていたココノエは、ラグナの態度にはさして興味も示さず、言葉には昨日の夜会ったばかりだろうと疑問符を浮かべるだけだ。
 境界を越えて、様々な事象を観てきたラグナにとっては、それは何百年ぶりの再会にも思えたけれど彼女はそれを知らないし、今この場ではどうでもいいことだった。そんなことを説明している余裕はない。
「それよりも、テメェに聞きてぇことがあんだよ」
 尚も低い声のまま、ラグナはココノエを睨み付けて言う。それを必死になだめるように、セリカが泣きそうな声で落ち着いて、と何度も声をかけるがラグナはそれを無視。
 ココノエも同様にセリカの言葉を無視し、ラグナを見上げた。こちらのことは大体話したのに、これ以上何を聞きたいと言うのだ。問いかける。
「クシナダの楔……どうやって起動させるつもりだ?」
 問いを受けて、ラグナが用件を伝える。その問いに、彼女はくだらない、と思った。
 それは昨日も話した内容だった。起動キーであるセリカを使う、と改めて答えるけれど、今はそれどころではないのだと吐き捨てカグラの方を見た。
 しかし、ラグナの言葉で――彼女は目を見開き、振り返ることとなる。
「セリカを使うって、それがどういう意味か分かって言ってんのか?」
「誰に聞いた?」
 彼には『セリカを使う』ということこそ伝えたけれど、それ以上の意味、使い方の詳細などは教えなかったはずだ。それを知ったとなれば彼のこの様子も理解できるけれど、何故それを知ったのだ。頭を過るのは金髪の吸血鬼だが、その名を口にする前にカグラが口を挟む。
「何の話だよ。外野にもわかるように説明してくれ」
 困ったようにカグラが言えば、ココノエは黙り込んでしまう。代わりにカグラの求めた答えを話すのは、ラグナだった。
「クシナダの楔の起動には……セリカの魂を触媒として使う」
 ココノエはそのために、セリカを過去から連れて来たのだと。
 触媒。その単語に最初に反応したのはノエルで、カグラはどういうことだと声をあげた。それを受けて、その触媒という言葉の意味を分かりやすく、ラグナは語った。ひどく、おぞましい意味だった。
「セリカの魂をクシナダの楔に融合させる。それが、クシナダの楔の起動方法だ」
 それを言った瞬間に、タガが外れたように、叩き付けるように、ラグナは叫んだ。
 一度融合させたら、二度と元には戻らないことを。魂は楔に拘束されて、そのまま魂――命を削られ続けること。それは彼女が生きたまま、死ぬまでずっと続くこと。
 そして、命を削り切って彼女が死んだら最後、楔は乾電池の中身が終わってしまったのと同じくらい簡単にスイッチが切れて停止、人生を代償としたのは無駄だったと嘲るように魔素は活動を再開させることを。
 ラグナが息を切らして叫んだその声を聞いて、カグラの目は見開かれる。マジで言っているのか、声を荒げて問う男にラグナは大きな声をそのまま、本当だと返す。
 こんなことで嘘をついてどうするのだ。それも、誰も幸せにならない嘘を。過去に行き、あの『大魔導士ナイン』から聞いたのだからとラグナは言う。
 それを聞いた瞬間、まるでおかしなものを見るように、カグラの表情が切り替わる。
 『大魔導士ナイン』として伝わる人物は、暗黒大戦時代に活躍した六英雄の一人だ。というのは皆の常識となっていて、彼女が伝えられた通り人間なのであればとうに寿命を全うして死んでいる歳である。故に彼女から聞いただなんて簡単には信じられない。夢でも見たんじゃ、と言うカグラだったけれど、ココノエの方はといえば、
「……『母様』に会ったのか」
 そう、静かに口から漏らした。ラグナとセリカ以外の皆が、その言葉に首を傾ける。それを受けて、ココノエはゆっくりと口を開いた。
「……六英雄の一人、術式の開発者『大魔導士ナイン』は……私の母親だよ」
 その言葉にノエルが目を丸くしたが、それに対してココノエはまた黙り込んでしまった。代わりにゆらりと一歩踏み出て、沈黙に水を差すのはラグナだ。
「……テメェよりよっぽど人間らしい奴だったよ」
 ココノエを睨み付けて、ラグナは唸るように言う。ココノエと違い、家族を守るために闘った
『彼女』は立派だというように。尻尾を揺らめかせながら俯いて、ココノエは頷くことで肯定してみせた。そして吐き捨てる。愚かな母だと。
 驚き、抗議をしたそうなラグナを喋らせず彼女は語る。
「クシナダの楔が発見されてすぐに使っていれば、三年……いや五年は黒き獣の活動を止められた。それだけの時間があれば、母様ならばアレを倒す術を開発できたはずだ。術式の完成度だって、遥かに上がっていたことだろう」
 それを、自らの甘さが招いた『一年』という短期間で成そうとしたのを、愚かだと言わずして何と言うのだと。
 実際に会って、その人物と触れ合ったラグナは、いくらココノエがその娘であろうと関係なく掴みかかりそうになった。抑えるのは、セリカ。抱き付き、全身を使って必死に彼を止める。
 振り払おうと、けれど怪我をさせないように彼は放せと叫ぶ。
「テメェも、自分の姉ちゃんをあんな風に言われて悔しくねぇのかよ!?」
 悔しくないわけがない。ナインはセリカの姉だった。親とは早くに別れたから、ずっと一緒に居たのは姉だけで、とても大事な存在だった。それを愚かだと侮辱されれば悔しさはある。
 けれど、ココノエの言っているようなことをセリカも同時に考えていた。過去で『黒き獣』にラグナが立ち向かったことで齎された一年はとても大切なものだった。
 けれど、一年が過ぎて黒き獣が再び現れたとき、人類はまだ弱く、沢山の人間が犠牲になったのだ。それが、とても悲しくて。ココノエが言ったようにセリカが犠牲になってクシナダの楔を使った方が良かったかもしれないと常に悩んでいた。だから、ココノエを責めることなどできなかったのだ。
 セリカの想いを聞いて、ラグナは肩を震わせた。
 彼女なりに大変な思いをしたのだ、などという意味じゃない。怒りだった。
「テメェは馬鹿か!」
 セリカの肩を掴み、乱暴に引き剥がす。
 痛みに、声にならない声をあげるセリカ。それをおかまいなしに、ラグナはセリカの瞳を見つめる。本当に馬鹿なのか、と声を張り上げた。
「いいか、術式は『ナイン』……テメェの姉ちゃんだから完成したんだよ! しかも俺が作った一年なんて短い期間だからこそ!」
 何故だか分かるか、問う彼に彼女は戸惑うように目を見開いた。間髪入れずに、ラグナはその答えを叩き付ける。
「俺はあんときナインと約束したんだ。一年、その間に黒き獣を倒す『力』を身につけろと!」
 それがどれほど大変なことか、ラグナには分からなかった。けれど、彼女は確かに強く頷き、実際に術式を完成させ、約束を果たした。
「何故、そんなにもナインは頑張れたか分かるか!?」
「お姉ちゃんが……」
 何かを言いかけるセリカ、しかしその答えはラグナの考えとは全く、これっぽっちも一致していなかったのがすぐに分かって、ラグナは遮った。
「テメェを失いたくねえから頑張ったんだよ! 何故近くに居てそれが分からねぇ!」
 そしてラグナは、ココノエを再度見ると、噛みつくようにこう言った。
「いいか、よく聞け。仮にセリカが犠牲になって、五年? そんだけあっても術式は完成しなかっただろうよ。ナインは諦めちまっただろうからな!!」
「お姉ちゃんはそんなに弱くない!」
 ラグナの台詞に、今度はセリカが一歩前に出て怒鳴る。自身の姉――ナインはそんな弱い存在ではない、とても強くて、憧れる存在で――。
「弱ぇよ! 誰だって、本当に『大切』なモンを失えば弱くなるんだよ! だからあんときのナインの『選択』は正しかった!!」
 けれど、ラグナも一歩歩み出て、叫ぶ。
 ナインは間違っていなかったのだと、自身のことでもないのにラグナは強く主張して、それから泣きそうな声で語りだす。
 言っていたではないか、自慢の存在なのだと。ならばもっと『誇れ』と。信じろと。
 それに、あのとき……『クシナダの楔』を見た者の中で、セリカを犠牲にすれば良かったと思った人間は誰一人居ないのだと、ラグナは語る。
 ラグナもそうなのか、問われれば強く彼は頷いた。彼女の存在を守りたかったから、黒き獣に挑んだのだ。彼女が力をくれた。優しく言うラグナに、セリカは瞳が潤む感覚をおぼえた。ぼやける視界の中で、赤いジャケットの胸に飛び込む。
「詭弁だな。お前の言っていることは『結果論』でしかない。それを最良の選択だとどうして決められるんだ?」
 しかし、その空気に水を差すように、今まで聞いていたココノエが冷ややかな声で口を開く。ラグナの語ったことは全て結果論だ。実際術式を完成こそさせたけれど、もしそれができなかったらどうだったろうか。ココノエを見るラグナの中で、自然と怒りがまた燃え上がる。
「知らねぇよ。んじゃあ、テメェが正しいってのは誰が証明するんだ? テメェが闘う『神様』とやらか。ふざけんじゃねえ」
「お前……よく私にそんな口が利けるな」
 吐き捨てるように言うラグナに、眼鏡越しのココノエの瞳が細められる。心なしか、尻尾の揺れる速さもいつもより早い。冷ややかな彼女の視線に、しかしラグナは臆することなく、寧ろ先ほどより高圧的な態度で一歩前に出た。
「気に食わねぇってか? なら殺りたきゃ殺れよ、ほら」
 いざとなったらココノエには『爆弾』があるのだ。気に食わなければいつでも殺すことができるはずだろう。――自身の力が後々必要になることを理解しながら、ラグナは脅すように言う。
 それに、ココノエが黙り込んでしまう。不審に思ったラグナが口を開きかけ――そこで、ココノエがやっと声を発した。
「……いいか、ラグナ。どちらにせよ、このセリカは私がクシナダの楔を起動させるために創った存在だ。セリカもそれを理解している」
 静かな声にこもる感情は感じ取れず、ただ淡々と告げられる言葉。信じがたいがその言葉は、彼女が自身を道具だと自覚していると言うものだ。
「本当なのか、セリカ」
 思わず、セリカに視線を落とし尋ねていた。頷く少女の表情は困ったような笑みを浮かべていた。そこでふと、ラグナは思い出す。それはセリカと会話をしたときのこと。
 『クシナダの楔』の起動を頼む、そう言ったラグナに対して彼女は『そのために来たから』と頷いたことについて。
 あのときは起動のための細工を知っているだとか、そういうことだとばかり思っていたけれど。ここでやっとその意味を理解する。彼女は、自身を犠牲にするために来たと言ったのだ。思わず、舌を打つ。そして、次にはクシナダの楔を何故、どのように使うのだという疑問が浮かんでいた。
「楔をどう使うつもりなんだよ。まさか、窯に打ち込んで魔素の機能を停止させるつもりじゃねぇだろうな」
「……そうだと言えば、どうする?」
 ラグナが確かめるように、半ばそうでないのを望みながら問う。しかしラグナの願いは虚しく、ココノエの言葉に砕かれる。けれど、薄々察してはいたから、そこまで驚くことはない。
「楔を窯に打ち込めば、今のセリカであっても三年は稼働し続けるだろう。魔素の機能が三年も停止できれば十分『ユウキ=テルミ』だって倒せる。私なら、世界とテルミの首、どっちを取ると思う?」
 最後には不適な笑みを浮かべて述べるココノエを、ラグナは睨みつける。確かにテルミを倒せるというのはラグナにとってそそられる内容だし、ラグナが魔道書を手に入れてまで成し遂げたいと思っていた事でもある。
 けれど、魔素がなくなれば世界中の人間の生活が危ぶまれる。だというのに、世界とテルミの首を天秤にかける目の前の半獣人には怒りが湧いた。
「……ふっ、冗談だ。流石に私であってもこの世界を滅ぼすつもりはないさ。これでもこの世界は気に入っているのでな」
 ラグナの様子を感じ取ったのか、ふん、といつものように鼻を鳴らしてココノエが両手を軽く掲げながら彼女は冗談だと言う。本当に冗談だったのだろうけれど、しかし彼女が言うと冗談に聞こえない。心臓に悪い、そう思いながらラグナは溜息を吐いた。
 それから、すっとココノエは真剣な表情を浮かべると。
「冗談はさておきだ、ラグナ。楔の使用目的を、今のお前に語る理由はない。それ以上は聞くな」
 ラグナが次に問いそうなことを先に察したのか、ココノエは冷たくそう言ってそれ以上の会話を拒む。こうしている間にも、あちらは何かをしでかしているかもしれないから、これ以上時間を割いている暇もないのだ。
「起動した楔を帝に打ち付けるつもりだったんだよ。目的はお前と同じだ」
「おいカグラ!」
 しかし、またもカグラが代わりにその計画の内容を容易く漏らしてしまう。
 咎めるように、ココノエがカグラの名を叫ぶ――がもう遅い。口が滑った、だなんて言うカグラを、じっとりと睨み付けるココノエだったが、確かにラグナの力も必要になるのだから、話しておくべきだと自身に言い聞かせ、溜息を吐いた。
 下がった眼鏡を軽く直し、眉間を揉む。
「はぁ……アズラエルのときと同じだ。全世界の眼を場に収束させ、事象干渉を無力化。その後、拘束陣にて帝を捕縛。違うのは、クシナダの楔で討つことだ」
 拘束陣の触媒にも、そのまま『クシナダの楔』を使う予定だとココノエは語る。
 あれは触れた魔素を無力化でき、帝も魔素を力の触媒としているのだから計算上、帝に拘束陣は解けないはずだ。
 しかし、ラグナは疑問に思う。そんなに用意をしたとして、どうやって帝をおびき出すのだろうか。アズラエルのときのように、簡単に彼女が来るとは到底思えなかった。問えば彼女は表情を動かさず、それについては……と前置き話し始めた。
「奴らの計画を利用する。この『連合階層都市・イカルガ』には奴らによる結界が張られている。目的はアマテラスの破壊だろう」
 方法はまだ不明だが、奴らの目的が『滅日』ならばそれで間違いない。
 ココノエの台詞に、続けてカグラがそう言う。『滅日』というものについてカグラはあまり理解していなかったが、要するに世界を一度無に還すらしい。
 そして、神殺しの剣・クサナギであるノエルを欠いた状態であれば、否、欠いているかに関わらず――ユリシアを使う予定だろう。
「しかし、だ。あれほど消したいと思っているアマテラスが破壊される瞬間を、遠くで見ているだけだと思うか? 答えは否だ。奴はおそらく、ユリシアの近くに居るはずだ」
 ユリシアを使わないとしたら、帝が直接手を下すか。奴らがそれ以外の方法を取るとはまず考えられなく、だからその時を狙う予定だった――とカグラが続ける。
「マスターユニット(アマテラス)まで餌かよ……とんでもねぇ事考えるな」
 『神』と戦うとはいえ、世界を作り出した神すらも餌にするなんて。
 ココノエらを呆れた様子で見て溜息を吐いた後に、ラグナは口を開く。
「……計画は分かった。だがセリカは使わせねぇ。クシナダの楔の起動は別の方法を考えろ」
「無理だ。そんなものがあればとっくにそうしている」
「それでもだ。もし何が何でもセリカを使うって言うなら、俺がクシナダの楔を破壊する」
 計画は分かったが、それでもセリカを使わせることは認められなかった。理解できないというようにココノエが首を振る。それに脅しをかけるラグナと、眉間に皺を寄せる彼女。手に負えないと思いながらも、ココノエは諭すようにラグナに語りかける。
「……何故『このセリカ=A=マーキュリー』に感情移入する? このセリカは私が作った模造品、謂わば『偽物』だ。お前が過去に行って会った奴の魂を映した『別人』だぞ」
 本物のセリカではなく、本物は既に死んでいるのだと。
 それで諦めるようにと、何度も念を押す。しかし――それに異を唱える声があった。
 意外にもそれはノエルだった。下ろしたロングの金髪を翻し、一歩前に出て彼女は、問う。
「模造品の何がいけないんですか……?」
 ノエル。ラグナが、その意外さに名を口から漏らす。そんなラグナを一瞥して、ノエルはココノエを真っ直ぐ見つめ言葉を続けた。
「私には、このセリカちゃんが本物か偽物かなんて分かりません。だけど」
 だけれど、セリカが自身をセリカ=A=マーキュリーだと認めているなら、そこに本物も偽物もないのではないだろうか。
 ノエルの語りを聞いて、ラグナは目を丸くする。
 彼女は、ラグナに助けられた後も自身が人間でないことを負い目に感じていて、模造品や偽物という単語に敏感だったはずなのに。いつの間に、こんなに強かになっていたのだろう。感心するラグナだったが、正気付いたようにココノエを見ながらノエルに賛同する。
 ――ココノエは、そんな二人に溜息を吐くと。
「……そこまで言うなら好きにするが良い。だがついでに良いことを教えてやる。本人も知っていることだが……今の状態のセリカだと、もって半年だぞ」
「もつって……どういう意味だよ」
 言葉の不穏さに、ラグナは思わず尋ねていた。ココノエはそれに鼻を鳴らして、声音を一切変えることなく言葉の通りだと前置いて、口を開いた。
 セリカは魔素に対抗する為に生まれた『秩序の力』であると。そして、このままその力を使い続ければ、用意したこの仮の器では長くはもたないと。削られた魂を引き止めておけるわけもなく、時が来れば――彼女は、消える。
 『刻の幻影(クロノファンタズマ)』は本来あるべき姿へ、居ないはずの者へと、帰るのだと。こればかりはどうにもできないと彼女は解説した。
「……ならば、どうするか? 世界のためにも、その魂を有効に使うことがお前の言う『正しい選択』だとは思わないか?」
「テメェ、マジでそれ言ってんのか」
 それを聞いた瞬間、ラグナはココノエの胸ぐらを掴んでいた。カグラの執務机に押し付け、持ち上げる。それに眉をピクリと動かすこともなく、鋭い瞳で見つめながら――ココノエは抗議もせずに黙っていた。
「ラグナ、ココノエさんから手を離して」
 静かに、なだめるようにセリカがラグナに声をかける。けれど、ラグナは我慢できなかった。目の前の半獣人がとんでもない悪魔にしか見えず、どうしても怒りが抑えきれなかった。
「私ね、ココノエさんにはすっごく感謝してるの。短い間になっちゃうけど、おかげで私はラグナに会えたんだから」
 胸で両手を重ねて、セリカは寂しげに笑い、ラグナの背中に尚も語りかける。
 ――ココノエから話を聞いたときは、確かに少しショックだった。けれど、ラグナに会えて、今度はラグナ達の役に立てるなら、そんなに嬉しいことはない。
 ラグナには、その言葉が信じられなかった。けれど、彼女が嘘を言う性格だとは思えなくて、何より、その声の真剣さと優しさがすっと胸に入ってきて、手が震えた。
「これがね、私の心からの気持ち。だから……ココノエさんを悪く言わないで、お願い」
 歩み寄り、そっとラグナの腕に触れるセリカ。
 ラグナはとても悔しかった。何もできない自分が、護りたいものすら護れない自分が。何よりセリカを犠牲にするしかないこの現状が。
 クソが、と吐き捨てて、ラグナはココノエを乱暴に放す。
 パンパン、と服を叩きながら、ココノエはラグナ達を見ないまま告げた。
「私の言う通りにしろ。それが最良の選択だと、セリカも理解しているだろう」
「……うん」
 頷くセリカ、そして訪れる沈黙。
「やっぱ駄目だ、セリカは犠牲にできない」
 沈黙を破るのはラグナの声だ。理解してココノエから手を放したと思えば、また何故そんな台詞を言うのか。すぅっと睨み付けるように目を細め、ピンク色のポニーテールを翻しカグラを見た。カグラからも何か言ってやれ、そう言うココノエ。
「いや、俺もラグナとは同意見だ。セリカを犠牲にするのは認めねぇ」
 しかしココノエの言葉に、カグラもまた頭(かぶり)を振った。手の平を返すカグラに、思わず目を見開くココノエ。何を言っている、と前置いて溜息を吐き――また説明しなければならないのかと零す彼女。それにラグナが俯いて、、口をそっと開いた。
「俺は……護るって決めたんだよ。セリカを護るってな。だから、俺はセリカを護るため『闘う』。いいな、セリカ!」
 顔を上げ、真剣な声でラグナが言った瞬間だった。頷くセリカ。途端、空気が揺れた。
「――かっこいいことを言うようになったわね、ラグナ」
 どこからともなく――否、部屋の内側から声が聞こえる。それはどうやらラグナの背後から発生したらしく、皆の視線が一斉にそこへ集まる。
 居たのは、金髪を左右の高い位置でくくった紅い瞳の少女だった。その傍らには、いつもは城で主の帰りを待つ老執事――ヴァルケンハインの姿もある。
 振り返った先に居た人物に驚き、一歩飛び退くラグナ。それを静かにヴァルケンハインは睨みつける。白髪に同じ白の髭を蓄えた老執事の存在に、カグラとヒビキが首を傾げた。彼らはレイチェルの存在こそ知っていれど、長躯の彼については知らなかったためだ。
「……この人、誰?」
 カグラの問いに、ヴァルケンハインが彼の方向を向く。名乗り、恭しく礼をする様は正しく紳士だった。けれど、語られる内容――ヴァルケンハインという名は、カグラの眼をまた丸く開かせた。ヴァルケンハインは、昔活躍した六英雄の一人だ。
 またとんでもない人が出てきたと、カグラは漏らす。そこから一歩離れたところで、ラグナが零す言葉といえば、何故爺さんまで来ているのか、などというものだ。
 それにはヴァルケンハインも眉を顰め、振り向くと。
「誰のせいでこうなっていると思う」
 そう、静かに責めるように言うのだ。
 というのも、レイチェルが傍観者でなくなったことにより、ヴァルケンハインが代わりにレイチェルを運ぶことになったためである。彼女が行ったことのある場所にしか転移ができないという条件付きで、ヴァルケンハインも転移魔法が使える。彼はまだ、理の外の人間であるが故に。
 運ぶのは構わない。しかし、たかが一人の男のために忠誠を誓う主が力を奪われた――というのは、なかなかに複雑なものだった。
「……何をしに来た、レイチェル。また私の邪魔をするというのなら容赦せんぞ」
 しかしそんなヴァルケンハインの心情を他所に、ココノエがレイチェルに鋭い声で問う。それにレイチェルは顔色一つ変えることなく、涼しげな顔で目を伏せた。
「この私が『助言』をしに来てあげたのよ。感謝しなさい」
「お前が助言……だと? 一体どういう風の吹き回しだ」
 さも当然というかのようにさらりと言ってのける少女に、尚更ココノエは眉根の皺を深くした。怪訝そうに問う彼女に頷きレイチェルは頬に触れる横髪を軽く手で払った後、一歩、歩み出る。
「……私も『舞台』に上がったのよ。それに『傍観(み)』ているだけにはもう飽きたわ」
 ココノエが目を大きく見開く。
 本気で言っているのか。そう漏らされるのは、彼女が傍観者から物語の登場人物へ変わったことを語られたからだ。信じられないというような彼女の視線を受けて、ふっとレイチェルは小さく笑い、いつだって自分は本気であると告げる。
 そんな二人の会話を経て、口を開くのはカグラだった。いつ何が起こるか分からない状況だというのにその口角は余裕そうに持ち上げられていた。
「あのレイチェル嬢の助言なら助かるな。……何か妙案でもあるのか?」
 千年を生きる吸血鬼の彼女からの助言であれば、きっととても助かるものに違いない。思うカグラの問いに、しかしレイチェルは首を横に振った。思わず肩を落としそうになるカグラであったが、しかしレイチェルの顔をしっかりと見て、言葉を待った。
 彼女曰く、ココノエ達が気付いていないことを教えに来たらしい。
 気付いていないこと……言われた途端、ココノエが片眉を持ち上げた。
「えぇ、そうよ。……ラグナ。クシナダの楔についての話を覚えているかしら」
「……前にウサギから聞いた話か?」
 ふとラグナに視線をやって、レイチェルが尋ねる。
 前にレイチェルから聞いた内容。それは、かつてラグナ達が育った場所――『あの日』燃えてなくなった教会の傍に造られた墓に参りに行ったときの内容だった。
 頷くレイチェルを見て、ラグナは思い出すように視線を上に持ち上げる。
「あー……確か、テンジョウが『切り札』として温存してたとかなんとか……」
「そう、それよ」
 テンジョウ。このイカルガにあるワダツミを統治していた元領主であり、統制機構の前帝。しかし――イカルガ内戦の首謀者とされた人物だった。
 おかしな話ではないか。その人物は起動キーであるセリカのことを知らないはずだというのに――何故、切り札として温存していたのか。彼女は静かに問いかけた。
「……まさか」
 思い当たる節があったのか、ココノエが漏らす。そう。レイチェルが言わんとしているのは、
「楔の起動方法が、別に存在する……?」
 そこまで言って、ココノエが首を横に振った。否、そんなはずはないと。アレだけ調べたのだからと、否定するように。けれどそれをレイチェルは勉強不足……否『理解不足』だと言った。
「クシナダの楔は、ナインの大事な妹を犠牲にしなければ意味を成さない。そんなものをあの『大魔導士ナイン』がそのままにしておくと思うの?」
 その言葉を聞いて、ココノエが冷や汗を浮かべる。母がそんな無駄なことをしていただなんて、思いもしなかったからだ。実際にはそれは無駄ではなくなったけれど。
「セリカ、クシナダの楔の起動方法とその原理を教えろ」
 いち早く口を開いたのは、カグラだった。まさか自分に声がかかるとは思っていなかったセリカが間抜けた声をあげて、それからカグラの言葉を反芻した後に、眉尻を下げる。上手く説明できないかもしれない、言う彼女にそれでもいいと催促するカグラはどこか焦り気味だった。
「えっと、楔の『コア』に魂を融合させる……って言えばいいのかな。そうすると確か、自己観測っていうのが始まって……」
 なんだったかな。付け足し、思い出そうとする彼女にそこまでで止めて、カグラは礼を言う。それだけ分かれば充分だった。しかしそれを聞いて思い出すのはそのコアについてだ。
 アレは、ただの起動用コアではなかったのか。――魂とコアの融合?
 聞いた言葉を反芻した途端思い出すのは、自身の兄弟子、コアであるアークエネミー『鳳翼・烈天上』の持ち主のことだった。最近、カグラが裏で会っていた人物。
 彼は自身が背負う五十五寸釘『烈天上』を『殿(テンジョウ)の魂』だと言う。それは、生前のテンジョウが自身の魂だと言って託したからだ。そこで今度はカグラが「まさか」と漏らす。
「まさか『中』に居るのか……!?」
 いきなり叫ぶカグラに、ラグナがうるさいと言うけれどそんなのはどうだって良かった。
 レイチェルがやっと気付いたかと言いたげな顔で頷き口を開く。美しい声は歌うように語った。
 アークエネミーの動力源は魔素であること、鳳翼・烈天上が他のアークエネミーを破壊する目的で作られた『アンチ・アークエネミー』であること。だからそのために魔素の活動を止める『クシナダの楔』のコアを素材にしたこと――。
「そして、アークエネミーの触媒は例外なく『魂』よ」
 考えてみれば疑問だった。
 何故テンジョウは自身の魂だと言って、自身の部下であった男に託したのか。そして何故、まだ未熟であった頃のジン=キサラギにあっさりと負けたのか。いくら彼が強い力を持っていたとしても、テンジョウの力量を考えればあり得ない事態だ。
 それが戦争を終わらせるためにわざと負けたのだったとして。
 テンジョウの肉体は戦後テルミに回収されたが、彼曰く『空っぽ』であったらしいとレイチェルは語る。ならば、ただ単純に負けただけでないことは明白だ。
「前『帝』である『天ノ矛坂天上(あまのほこさかてんじょう)』の誇り高き魂よ。アークエネミーの触媒としては充分じゃなくて?」
 微笑を浮かべ、首を傾けるレイチェル。その言葉にカグラは確信を持った。テンジョウの魂は烈天上の中で眠っていると。
「あれ? それなら、私が居なくても起動できちゃう……?」
 小首を傾げる少女。その人物の魂で楔が起動できるのなら、自身は必要ないのではないか。不思議そうな表情を浮かべる彼女に、ココノエの鋭い声がかけられた。
「何を言っている。テンジョウの魂で楔が起動できるという保証がない。レイチェルの話も推測の域を出ない以上、もしものときはお前が楔を使わなければならない」
 言い終わったところで飴が丁度なくなったらしい。新しいキャンディを出そうとしたココノエに、怒鳴り声が叩き付けられる。尚もセリカを犠牲にしようとする発言をした彼女に怒りを抱いたラグナのものだった。
 けれど、ココノエなりに譲歩した結果だと彼女は語る。いい加減にしろ、言われても彼女は引くことがない。それどころか、いい加減にするのはラグナの方だとまで言う。
「私も、そしてカグラも。ここに来るまでにそれなりの代償は払っているんだ。それを理解できんとは言わせんぞ」
 冷水のように冷ややかな声がラグナを撫で上げる。理解はできた、けれど、それでも。抗議しようとするラグナをなだめるようにセリカが優しく囁いた。
「大丈夫だよ、ラグナ。きっと上手くいく。そのために、これから皆で頑張るんだから。それにラグナが『護って』くれるんでしょう?」
 へらっと笑う彼女に、ラグナは一瞬黙り込む。――そして、決意したように大きく頷いた。
「あぁ。俺が全力で『護って』やる」
 ニッと笑いかけるラグナ。事態はこれで収まったかと思いきや、その空気を割るかのように元気な声が執務室の中に響いた。
「おし、そうと決まればラグナ、セリカ、ノエル! お前達、今から楔を起動させて来い」
 そう言うとカグラはぱちんと片目を瞑り、歯を見せて笑った。
 呼ばれた三人が目を大きく見開いて、その内のノエルが慌てたように言葉を発した。
「え、えぇっ!? ももも、もう起動させちゃうんですか?」
 話が決まったばかりで心の準備もできていないのに。不安げな表情のノエルと似たようなことを考えていたらしい、ココノエがカグラを睨み付け声を張り上げた。
「おい、お前何を考えている!?」
「何って、だから『革命』だよ。前々から言ってただろ。それを今から始めるんだ」
 ココノエの剣幕にしかし一歩も引くことなく、寧ろ笑みを深くしてカグラは簡単に言ってのけた。けれど、それが余計にココノエの興奮を誘い、彼女が一歩強く歩み出る。足音がやけに大きく響いた。カグラの言葉が、ココノエにはふざけているようにしか聞こえなかった。
 今からだと。そんな、いきなり何もかもを始めるなんてできるわけがない。ココノエの台詞に、カグラは首を軽く横に振る。
 いきなりなんかではなく、自身らは充分なくらい準備を進めてきた。ならば寧ろこれ以上、何を待てというのか。全ての材料は揃っているし、機を逃せば次はないのだとカグラは語る。
 ココノエが、眉尻を下げて俯く。確かに、カグラの言っていることも一理あった。けれど、まだ上手くいく保証なんてないし、計算を重ねなければ――。
 顔を伏せたココノエを見て、カグラは静かに口を開く。
 ――ココノエらしくない。もしかして、ビビッているのか。
 分かりやすい挑発だった。その言葉に乗るのは癪だったが、しかしココノエはむっとして顔を上げる。
「デカい口を叩くな、カグラ。分かった、いいだろう。貴様のその『機』とやらに乗ってやる」
 どこか不服そうにではあったが、ココノエもそう言ってしまえば後には引けない。
 マジかよ、とラグナが漏らす。本当にやってしまっていいのだろうか、もっと考えなくていいのか。考えれば考えるほどに不安が募る。けれど自信たっぷりにカグラが頷いたのを見て、ラグナも覚悟を決めた。
「あぁ。こっちのことは、お前達が向かってる間に準備しておくから安心しろ。んでヒビキ、案内してやれ」
 カグラがそう言ってヒビキに命じる。了解の意を示して、命じられたヒビキがすぐさま歩きだす。案内をするために。それに着いて行こうとして立ち止まり、カグラを振り返ったのはノエルであった。
「あ、あの、私は行って何をすれば……」
「お前は扉を開ける役目がある。『蒼の継承者』がいないと『扉』が開かねぇ」
 行って何をすればいいのか。もしかしたら、必要ないのでは。
 問う少女にカグラは真剣な目で、だけれど安心させるように少しの笑みを交えてそう言った。気を付けろよ、と最後に付け足して手を振り、今度こそノエルらが行こうとしたところで――。
「ちょっと待て、ラグナ。コイツをクシナダの楔に取り付けて来い」
 呼び止めるのはココノエ。彼女らに背を向けていたラグナは振り向き、ココノエがポケットから取り出したものを見て首を傾げる。手に取り確認してみると、それは何やら小さな機械のようだが、何をする機械なのかは見た目だけでは判断ができない。
「何だこりゃ」
「転移装置だよ。コイツは『術式』で起動する」
 ラグナが眉をひそめるのに対して、簡潔にココノエが説明する。それを一瞬そうなのか、と流しかけて、ラグナが何かに気付いたように「んん?」と声を漏らす。
「お前が術式を使ったのか?」
 ココノエは第七機関――科学を信奉する集団に属していて、彼女自身も術式を使わずに科学ばかりを扱っていた。そんな彼女が珍しく術式を使ったというのに、少しだけ驚いた。
「いちいち変なところで驚くな、お前は。そうだ、術式を使った。この転移装置はテイガーと繋がっている。起動させることで即座に、対象物であるクシナダの楔をテイガーの居る場所まで転移させることができる」
 目を伏せそう語った後、ココノエはそれからラグナを両の瞳で見つめた。黄金色の瞳だ。ラグナが見下ろし、左右で色の違う瞳をココノエの目に向ける。
「帝達を引きずり出したら、テイガーをそこに向かわせクシナダの楔を転移。帝に楔を打ち込むという手筈になっている」
 その説明を受けて、今度こそラグナは頷く。確かに預かった。言うラグナに首肯して、ココノエは続ける。転移装置のエネルギーには、ラグナの右腕である『蒼の魔道書』の魔素を使うと。
 蒼の魔道書は存在自体が『窯』だ。黒き獣として暴走し倒された後の物だったとしても、その機能を失ってはいない。ならば、装置にエネルギーを供給し続けられるとココノエは解説するのだが。ラグナはまたも首を傾げる。
「待てよ。セリカが居たら『蒼の魔道書(こいつ)』起動できねぇじゃん」
 セリカは魔素を浄化する力を持っていて、特に『このセリカ』は蒼の魔道書の魔素へよく反応するはずだ。そのせいで今も右腕と右目が使い物にならないわけで。使うにはセリカと離れなければいけないが、セリカと一定以上離れれば爆発して――。
「お前、動かせただろう」
 混乱するラグナに、ココノエが呆れを含んだ視線を向ける。忘れたのか、とでも言いたげな表情に、そういえばアズラエル戦のときに使えたことを思い出す。何故あのときは使えたのだろう。
 そんなラグナの疑問に答えるようにして、ココノエが白衣のポケットから更に何かを取り出した。それは前に一度見た機械に酷似していて、思わず声をあげた。小さな四角形のスイッチ。
「んな、それは……っ」
「イデア機関、起動しろ」
 ココノエが静かに命じれば、呼応するようにラグナのイデア機関が解放される。今は亡きラムダから託され吸収したものを、ココノエがラグナの左腕を作るついでに調整したものだ。
 そして、起動した途端――血の通わない右腕に神経が繋がったような感覚をおぼえる。
 持ち上げようとすればきちんとラグナの意思に従い動いた。右目だって先ほどまで感覚すらなかったのに閉じている感触があって、意識すれば開くことができた。
「あ……右目が見える。右腕も……」
 確認するように腕を動かしながら見下ろしたかと思えば、瞳を動かしきょろきょろと辺りを見る。それに驚いてみせるのはセリカだった。
「セリカにもこれと同じ物を持たせているのは知っているな。これでセリカの波長を調べていたのだが……お前、セリカがアズラエルの攻撃を受けたとき、イデア機関を起動させただろ」
 調整中のそんな無茶な起動にデータが半分ほど無駄になったと責めるように言って、ココノエは深く溜息を吐く。ラグナを一瞥するとピンク色をした二本の尾をゆらりと揺らめかせて、ココノエはふんと鼻を鳴らした。
 その表情は、セリカの姉であるナインが小難しい説明をするときと似ていて、セリカがきょとりと目を丸くする。やはり親娘なのだな、と何気なく思いながらココノエを見つめていると、彼女は語りだす。
「これについてだが。イデア機関がセリカの力を『相殺』するノイズキャンセラーになっている。お前の腕に仕込んだモノで試させてもらっていた」
 それを語って、ココノエは人差し指を立てる。そして得意げに口角を持ち上げた。
「つまり、だ。お前のイデア機関が稼働し続けていれば、セリカの力の影響は受けない」
「じゃあ牢屋で入れたスイッチは何だ!?」
 ココノエの言葉に、尚も疑問は尽きずラグナは問うた。
 それならば……腕に仕込んだモノで試したというなら、爆弾のスイッチだと言って起動したのは何だったのか。ラグナの問いに、なんだ、それか。なんてココノエは軽く相槌を打つ。とても簡単に流してくれたが、ラグナにとってはとても重要なことだった。
 けれどラグナの心を知っていてか、はたまた知らないのか彼女はこれまた簡単に言ってのけた。
「あれは『同期』調整用のスイッチを押しただけだ。常にセリカの影響下に居てもらわないと、離れられては『波長』が調べられん」
 そう言った後、こちらを真剣に――しかし眉尻を少し下げたセリカとラグナの二人を見て、不思議そうにココノエは目を丸くする。そして、何かを察したらしい。あぁ、と納得したように頷いて、首をこてりと傾けると、
「……まさか、爆弾とか本当に信じたのか、お前ら」
 さも彼らが気付いていると思っていたかのようなココノエの台詞に、やっと『MD爆弾』が嘘であると知ったラグナ達。力が抜けると同時に、目の前に佇むこの小さな半獣人がとても憎らしく思えて、深く溜息を吐いた。
「タチが悪い……」
「そういえば、言い忘れていたが」
 零すラグナに、ふとココノエが声をかける。まだあるのかよと返すラグナだったが、一応聞く気はあるらしい。扉の方に向けようとしていた体を、ココノエにまた向け直した。
「イデア機関の単独起動は『術式強化(オーバードライブ)』と同じだ。少々体に負担がかかるが、お前なら大丈夫だろう」
 術式強化――オーバードライブとは、大きな能力を使う際に、体への負担を軽減するための術式だ。勿論その分だけ後に反動があり、また制御に失敗した場合は下手をすると魂が境界に引き込まれる――というリスクが高いものだ。
 一瞬驚くラグナではあったが、ココノエはラグナなら平気だろうと信頼してそれを調整したのをラグナもすぐに感じて、頷く。
「これで問題はなかろう。さっさとクシナダの楔を起動させて来い」
 そうして、追い払うように手を振りながら言うココノエにセリカは笑いかけた。ありがとう、礼を言う彼女へココノエが返す言葉は厳しかったけれど、それでもセリカはココノエの優しさを知っていたから、嬉しそうに笑っていた。
「あぁ、ラグナ。あっちに着いたらうるさい奴に会うと思うが、頑張ってくれ」
「誰か居るのか?」
 背を向けたラグナに、カグラが声をかける。また何かあるのか、そう思いながら首だけ振り返るラグナに頷いて、カグラは告げる。楔を手に入れるための試練だと思え、と。
 よくは分からなかったが、ラグナはそれに頷いて、そして今度こそラグナ達三人は、カグラ達と別れを告げて、ヒビキに案内されるまま部屋を後にした。
 三人の背を見届けると、ココノエもやがて地下に戻った。そこで彼女は、部屋の隅に優しく語りかけた――。



 ワダツミ城地下にて、ラグナ達は沈黙していた。
 本来なら、ここに扉があるはずなのだが――扉らしきものが見当たらないためだ。壁をぺたぺたと触ったり、何度か軽くノックしてみても裏に何かありそうな雰囲気すらない。部屋を見回す。もしや間違えたのかとも思ったが、地下まで一本道だったため迷うわけもない。
 二人分の靴音が室内に響き渡る。
 この期に及んで騙されたのか、そう思ったラグナ達であったが――。
「嘘、凄い……これが『扉』なの……?」
 ノエルの言葉に、二人が一斉に振り向く。そうしてノエルが見つめる先を彼らも見たけれど。そこには、やはり何もなかった。でも、彼女の様子からしてあるのだろう。
「扉って……ノエル……見えるのか?」
 ラグナが恐る恐る、確認するようにノエルに問う。すると、彼女は不思議そうに声を漏らして、逆に見えないのかと返すのだ。
 見えないと、どこにあるのだと、ラグナが問えば、ノエル曰くすぐ目の前にあると。ラグナ達には壁しか見えないが、彼女がどうやって開ければいいのか……と呟いたところで、セリカが「もしかして」と漏らした。
「ノエルちゃんだけに見えてるってことは……ねぇ、ノエルちゃん。扉がそこにあるって『認識』してみて。そうしたら、開けられるようになるかも」
 そんなセリカの提案に、最初首を傾げるノエルだったが、すぐに意味を理解したらしい。
 やってみる、そう言って彼女は、彼女にだけ見える『扉』へ意識を集中させる。
 重厚な、門のような扉。大きく重いそれには何やら紋章が刻まれていて、それを強く、強く『蒼の継承者』として認識する。自分の中の『蒼』に導かれるままに。――その瞬間だった。
 まばゆい光が、辺りに満ちる。思わずラグナ達は叫び、目を覆った。
 そして光が収まって、ゆっくりと腕を下ろし目を開けたとき――。
「これが……そうなんですか?」
 そこは、先ほどまでの何もない空間と打って変わって、涼しい空気に満ちた場所だった。部屋は先ほどの数倍広く、そして――その奥まったところに『それ』はあった。
 それは、何本もの鎖が巻かれ、容易に動かされぬように、拘束されていた。三角錐が逆さになった姿で、暗がりにぼんやりと浮かびあがる肌は銀色。ラグナ達の何倍も高さがある巨大なそれには、古いものなのか読めない文字と不思議な紋様が深く刻み込まれている。
「……間違いねぇな、これだ」
 ラグナはそれに見覚えがあった。イブキドの窯から過去に飛び、そこでセリカ達と共に見たのと同じ姿。正しくそれは『クシナダの楔』だった。
 成程、と納得する。『認識』の外に隠していたならば見えないはずだ。そして『眼』の力があるノエルであれば、それを見ることも可能だと。
 そうして、ノエルがそれに歩み寄る。何でできているのか、さっぱり『観え』ない、呟きながら手を伸ばした瞬間。
 空間に、怒号が木霊する。
「それに触れるでなぁぁあい!!」
「きゃっ」
 ノエルの前を何者かの影が過る。まるで、楔とノエルを隔てるようにして、トン、と軽い足音と共に『彼』は舞い降りた。
 目の前に立つ男に、ラグナは見覚えがあった。
「……うるせぇ奴っておっさんのことかよ」
 気怠く漏らす声を聞いて、セリカが首を傾げる。セリカには見覚えのない人物だったから、ラグナが知っている風なのが気になって。
「この人、お知り合い?」
「あぁ、ちょっとな」
 頷くラグナ。まともに紹介されないのを男はよく思わなかったが、それよりも彼が来た理由の方が大事だったため、彼は俯き語りだす。拳をぎゅっと握りしめて。
「カグラが『何者』かが来ると言ってから待つこと少し、そして来たのが女連れの『重犯罪者』ラグナ=ザ=ブラッドエッジ……。一体何をしに来たでござるか!」
 何をしに来た。薄々分かっていながら、男は不思議な口調で問いかける。問われれば、ラグナは分かっているのだろうと返して――。
「……そうか。やはりお主が拙者の前に『立つ』者でござるか」
 今までうるさかったのが嘘のように、小さくぽつりと男は零す。そして、ハッと気付いたように二人を見て、
「あっと、紹介が遅れたでござるな。拙者の名は、愛と勇気の咎追い『シシガミ=バング』でござる。殿の意思を継ぎ、この場にて……」
 ――お主達が来るのを待っていた。
 男、バングが低く言った瞬間。ただならぬ空気が辺りを支配する。思わず、悲鳴を上げる女性陣に、ラグナが下がっていろと声をかけた。
 それは、とてつもない殺気だった。
「おっさん……人に向けるレベルの殺気じゃねえぞ、それ。まさか殺し合いでも始めるつもりか」
 いくつもの死線を通ってきたラグナですら、冷や汗を浮かべるほどの気配。
 顔を引き攣らせ問う彼をバングは睨み付け、静かに語った。
「この程度で怯む者に、託す訳にはいかんでござるからな」
 その言葉に、ラグナは眉根を寄せる。それを見て、バングは続けた。
 ――そこにある『クシナダの楔』はテンジョウが命を懸けて護ったもの。そして、バングの背にある五十五寸釘『鳳翼・烈天上』はテンジョウが身命を賭してバングに託したもの。ここにある二つのものは、戦で散った多くの命の上に成り立っているのだ。ならば到底『殺し合い』程度で託せるものではないと。
 それを静かに聞いて、ラグナはそれから確かめるように尋ねた。
「一つ、聞いていいか」
「何でござる」
 用件を問う彼の黄金の両目をしっかりと見据えて、ラグナは問うた。
 何のために、闘っているのだと。
 それを聞いて、バングは迷うことなく即座に答えた。その答えは、彼の中で常に強く存在していたからだ。そして、そのために今まで行動してきたからだ。
「取り戻すためでござる。 たとえ戦で負けようとも、決して失ってはならぬ『誇り』と『勇気』を。そして民の『笑顔』を……!! その全てを取り戻すために拙者は闘っているでござる!」
 叫ぶようにして伝えられたその答えは、すんなりとラグナの心に入ってきた。真摯に答えた彼に、ならば自身も応えねば。頷き、ラグナは礼を言った。
「これで俺も……全力が出せる」
 覚悟を決め、そう言うラグナの気迫はバングのものに負けず劣らず。良い気迫だ、とバングは評して闘うため、構えをとった。
 そして、二人は各々叫び、同時に地を蹴った。



 セリカとノエルが、ラグナを応援する。その声に背中を押されて、ラグナは傷付きながらも立ちあがり、何度だって向かって行った。絶対に負けられなかった。
 地に膝をついたバングを挑発するように、立てと声をかけるラグナ。まだ終わりじゃない。
 そんなラグナに、ゆっくりと身を起こしたバングが声をかけた。
「拙者からも、尋ねていいでござるか」
 息を荒くしながら、ラグナは何だと返す。何となく、問われる内容は分かっていたけれど。
「……『死神』とまで呼ばれたお主が、何のために闘っているのでござるか?」
 それは、ラグナが最近までずっと悩んでいた内容だった。何のためにその力を使うのか。何のために闘うのか。
 けれど、ラグナはもう迷わなかった。
「もう失わないため……そして、護るためだ」
 静かに告げられた言葉に、バングは「何を今更」と吐き捨てた。
 だって、ラグナは今まで階層都市を壊滅させ、沢山の命を奪ってきたからだ。欺瞞ととらえられても仕方ないことは、ラグナが一番よく分かっていた。確かに自身はやり過ぎたと分かっていた。でも、今更だと言われても、それでもラグナはもう決めていた。覚悟はできている。
「それでも構わねぇ……それでも、俺はそのために闘う。もう決めたことだ」
 それだけを語って、バングの息が落ち着いていることにそこでラグナは気付く。だから、俺はまだ戦えるからと、煽るように言った。それに頷くき、もう一つだけとバングは尋ねる。
「最後に。……何故『蒼の魔道書(それ)』を使わない?」
 疑問だった。全力を出すと言った割に、その力を使わないのは何故か。
 それも、ラグナには簡単な答えであった。
「……『俺』がアンタに勝たなきゃ意味がねぇからだ。だから、この『力』は使わねぇ。たとえ、死んだとしてもだ」
「相分かった……!!」
 ラグナの答えを聞いて、バングが唐突にそう叫ぶ。
 思わず間抜けた声をあげるラグナに、バングはニッと快活に笑った。どこかカグラのそれを思わせる笑みだった。
「成程。カグラがお主を寄越した理由が分かったでござる。お主なら『力』の意味もその使い方も違わぬでござろう。……ならば拙者も、お主に託してみるでござる」
 良いのか。ラグナは思わず尋ねていた。確認するようなそれに、しかしバングは迷うことなく頷く。ラグナのために、鳳翼・烈天上を使う。そうバングは宣言した。
「……そうか。礼を言うよ、シシガミ=バング」
「こちらこそ、善き戦いであった」
 互いに頷き、笑い合う。そして、思い出したようにラグナは口を開く。
「――でだ。俺じゃそれ、どう使っていいのか分からねぇんだ。知ってる奴がいるからよ。見せてもいいか?」
 ラグナの問いに、バングは一瞬戸惑ったように目を丸くするが、すぐに構わないと頷く。
 それを受けて、ラグナは後ろを見た。そこには先ほど下がらせた女性陣が居て、その内の茶髪――セリカにラグナは声をかけた。
「セリカ、ちょっと見てくれ」
 ラグナに呼ばれると、やっと自分の出番が来た彼女は元気よく笑いながら返事をして、小走りに駆け寄った。背負った烈天上を見せるバングに、ラグナがクシナダの楔も見せてもらうと断って、それのもとへ歩み寄るラグナ。転移装置をつけるためだ。勿論それはノエルも手伝うらしく追いかけるように駆けて行く。
「……どうでござる?」
 暫く烈天上を見つめる少女に、バングは問いかける。よく使い方も分からずに持っていたバングにはさっぱりだった。そして、セリカもまた同様に分からなかったようで、苦笑する。
 そこで転移装置を取り付け終わったラグナ達から、何か分かったかと声がかかる。
「まだ~、全然!!」
 遠くに居るラグナ達へそう答え、セリカは首を捻った。一体どう使えばいいのか。そこで、ふとセリカは閃いた。楔の起動は魂を打ち込むと言われたのを思い出したのだ。ならば。
「バングさん、ちょっとこっち来て!」
 言うや否や、バングの手を握り、引っ張り、彼女は駆け出す。突然のことに驚きながらも着いて行くバング。駆けて、立ち止まる先はラグナ達の居る楔の前だ。
 セリカの予想はそのままの意味で、その釘――烈天上を楔に打ち込むのではというものだ。
 尋ねるバングに頷いて、セリカはにこやかに笑いかける。
「そう。もしそれにテンジョウさんの魂が眠っているんだったら、起こせるのはバングさんだけかも」
「拙者が……殿の魂を、呼び覚ます……」
 両の手を見下ろして、バングはそう漏らした。責任重大だと思い、不安を感じる。
 けれど、頷き声援を浴びせられれば、バングはやがて決意した。
 そして自分の叫びが、テンジョウに届かないわけがないと。思い……いざ、それを抱えて楔に近付こうとした瞬間だった。
 何者かに、バングは弾かれる。その人物に、バングは目を見開いた。
「なっ……ラ、ライチ殿!?」
 長い黒髪を束ねた女性。ライチ=フェイ=リンが、武器である長い棒を持ちバングの行く手を阻む。彼女は、バングの思い人だった。ここの所、忙しかったのか姿を見なかったが――何故、彼女がここに居るのだろうか。嫌な予感がしながらも、何故と問うバングに答えずに、代わりに悲しそうに言うのだ。
「ごめんなさい。今、それを起動されては困るのよ……」
 戸惑いを隠せないバングの後ろ。そこで、悲鳴が木霊する。ノエルのものだ。
 思わず振り向くバングやラグナ達。そこでは仮面の男が――否、その傍らに居る赤紫の機械人形がノエルを拘束していた。
「ノエル!」
 驚きに名を呼ぶラグナ。それをどうでもいいもののように仮面の男、レリウスは彼らの前にあるクシナダの楔を見上げ――ほう、と零した。
「醜悪ながら、見事なものだ……それが『クシナダの楔』か」
 呟き、そして、自身の名を呼ぶバングすらも無視してレリウスは後ろを振り返る。そこに居たのは少女だ。長い白髪を太い三つ編みにした少女。その少女、ニュー・サーティーンは、できれば起動したものが見てみたかったなどと零すレリウスの指示を受け、拘束されたノエルの元へと近付いた。そして静かにノエルを見つめると――静止。
 クソ、と零してラグナはそこに駆け寄る。まさか彼女まで出て来るとは思いもしなかった。攻撃をする様子ではないが、何かよからぬことをしているのだろう。そう思えば、否、そうでなくとも――苦しそうな彼女を助けないわけがなかった。
「テメェら、ノエルを放しやがれ……!」
 腕を狙い剣を振り下ろそうとするラグナ。重いその一撃は真っ直ぐニューの腕を捉えるかと思われた。が、それは金属音と共に弾かれる。
「邪魔をするな」
 レリウスのマントから飛び出た機械のアーム。それの先についた刃がラグナの剣を受け止めたのだ。レリウスは攻撃を止めると一歩すぐに退き、力を込めていたラグナは踏鞴を踏んでバランスを崩す。そこに、レリウスが別の機械腕を出しラグナを攻撃する。



   2

「うぁっと……風が強いですね、ここは……。でも、良い眺めですね、本当に」
 崩れた街だったもの(ガレキ)を見下ろしながら、ハザマは静かにそう呟き微笑んだ。
 びゅうびゅうと吹く風に帽子を飛ばされないよう押さえながら、コートを靡かせて彼は渦巻く雲を仰ぐ。その後ろで、一歩遅れてユリシアがゆっくりと追いかけていた。
「ほら、ユリシアも見てください」
 冷たい風に両腕を擦りながらも、笑顔でハザマはそう言った。
 隣に立ったユリシアがそれを見下ろし、頷く。それは『良い』と言うには程遠いけれど、彼女の口から凄い、と拙い言葉で漏らされるのを聞いてそうでしょうとハザマは言いたくなった。
「……では。いよいよ『宴』を『神災』へ……『滅日』を始めるとしますか」
 微笑みを浮かべ夢見るのは、滅日の先の世界。己の価値を正しく理解した『器』は、自身の中に住まう彼のため。隣で返事をする少女もまた、隣に立つ男(ふたり)のため、そして自身の――。
 そんな中、不意に後ろで何者かの気配がするのを感じて、ハザマは首を傾げる。こんな場所だというのに殺気は感じない。否、殺気に『なりきっていない』のだ。ひどく生温く気持ち悪い気配。この気配は、知っている。
「――何なんですかぁ? こんなところまでやって来て、本当、しつこいですねぇ貴女」
 そこに居たのは、年端もいかぬ少女だった。マシュマロのようにふわふわとしたプラチナブロンドを大きなリボンで結んだ、小さな子供。しかし、その瞳は子供のものと言うにはあまりにも複雑な感情に満ちていて――。
「おしりあい、ですか?」
 身構えながら、ハザマの声にユリシアは不安げに尋ねる。頷くハザマ。しかし、先の台詞からしてきっと良い相手ではないのだろう。思えば、足が竦む。
「……テルミさん。私は、ずっと、ずっと貴方のことを考えていました」
 その少女は、深いグリーンの瞳を震わせながらもしっかりとハザマを見つめると、そう言葉を紡ぐ。ユリシアはそれに驚いた。だって、今まで彼らの前に現れた人物で『テルミ』の存在を知っていたのはラグナと、まともに話したこともないココノエくらいしか居なかったからだ。
 ニィとハザマの口角が持ち上がる。
「おやおやおや、随分と熱烈な告白ですねぇ。貴女好みに言うのでしたら……んんっ『そんなお優しい言葉、僕には勿体ないです。トリニティ=グラスフィールさん』って感じですかねぇ?」
 ハザマの声が、今まで聞いたことのないほどに甘く優しい声に切り変わる。その瞬間、露骨にその少女――トリニティの表情が歪んだ。何か思うところがあったのだろうけれど、二人の関係性が分からず、またハザマのそんな声に戸惑ったように、ユリシアがハザマの顔とトリニティを交互に見た。
 何故だろう、とても、胸がざわつくのだ。これは、あのセリカと出会ったとき――正確には、セリカとハザマらが出会う直前の胸のざわつきによく似ている。何か良からぬことが起きる気がして、ユリシアは震える唇を開いた。
「あ、ぁ、あの、あなたは……」
「……!?」
 ハザマの後ろから一歩前に歩み出て尋ねるユリシアに、トリニティは意外だとばかりに目を見開いた。両の手を胸の前で震わせ、言葉に詰まる。
 揺れる瞳でユリシアを見つめながら、蚊の鳴くような小さな声で何かを呟く。よくは聞き取れなかったが、その声は悲しみに満ちていて。問いに応える様子もなく、その少女は首を横に振った。目を伏せ、数秒。ゆっくりと瞼を持ち上げて彼女はハザマを再度見つめた。
「テルミさんは……また。今度は、こんなに幼い子を……」
 その瞳には、深い悲しみの他に、やがて微かな感情が滲む。怒りに似ていたけれど、それはあまりにも小さすぎて、怒りにも満たないような。それを見て、ハザマは嗤う。どこまで行っても馬鹿で、優しい女だと。アレだけ裏切られて、まだ憎しみの一つすら満足に抱けない。
「言っておきますと、ただの子供じゃないんですよね。じゃなきゃ俺が連れて歩くわけねぇだろ」
 思いながらも、ハザマはそう語る。最後の方はテルミが出たせいで、乱暴な口調になったけれど。入れ替わる彼らを見て、彼女は垂らした手でスカートの端を握り込んだ。ぎゅう、と力を込められた布は皺が寄る。けれど、ふと疑問が浮かんで俯けかけた顔を上げる。
「ただの、子供じゃない……って」
 きっと騙されて使われているのは分かる。ならば、それ相応の能力のようなものを持っているのだろうけれど。それをわざわざ言うのだろうか。よほど何かに長けているのか。
 不安に眉尻を下げる彼女を見て、今度はテルミが笑みを浮かべる。ユリシアの頭にぽんと手を乗せ、ゆっくり――口を開いた。
「……コイツは『蒼』だよ。俺様を慕って、従う可愛い『蒼』。世界の情報が回帰するところでありながら個として存在する。つってもコイツは不完全というか片割れみてぇなモンだけどよ」
「なっ……」
 ポン、ポンと優しく叩かれる心地良い感触を受けながらユリシアは、自身の話を聞くことで自身を改めて認識し、やっと思い出す。この人は姿形こそ変わったけれど暗黒大戦時代にテルミ達と共に戦った。そして、テルミの強制拘束(マインドイーター)を解いた――。
 思い出すユリシアを他所に、テルミの言葉が意外だったのだろう。口に両手を当て、声を漏らすトリニティ。再度ユリシアを見て、本当なのかと零す。けれど、彼女だって薄々感じているのだろう。
「……それなら、尚更貴方を止めなくてはいけません」
 その手に現れるのは、大きな杖だ。金属なのか木材なのか材質の分からないそれは女性的な曲線を持ち、柄の先には鈴のような飾りがついていた。
 可愛らしいフォルムでありながら、それもまた事象兵器だ。アークエネミー『雷轟・無兆鈴(らいごう・むちょうりん)』。具現化の能力を持つソレを手にして、彼女は静かにテルミを睨み付けた。睨んでいるとは言い難いほど覇気に欠けた表情ではあったけれど。
「おぉおぉ、そんな怖いモンまで持ち出しちまって。それでどうする気ですかぁ、えぇ? お優しいトリニティ=グラスフィールさんよ」
 テルミの煽る言葉に、しかしトリニティは動じない。静かにテルミを見据える彼女と、それがつまらなかったのか無表情になるテルミ。それを見て、ユリシアの胸のざわつきがますますひどくなる。心臓が撫で上げられるみたいで気持ち悪い。彼女の存在は思い出せても、何をしようとしているのか分からないから余計に不安で。
「私は……最初からこうするべきでした。私の愚かさが、貴方をここまで……。私は、許せません。あのとき貴方を信じてしまったことも、こんな幼い身体に頼ってしか魔法を使えない私も。そして今度はそんな少女を使おうとしている貴方も」
 許さないから何だ、とテルミは思う。けれど、彼女の無兆鈴が涼やかに輝きだしたのを見て、その色を見て――まさか、という声が口から零れ落ちる。
「何をする気だ、オイ、ちょっと待て、止めろって。俺らは仲間だろ? なぁ!!」
 明らかに焦った様子のテルミを見て……だけれど、どうすれば彼を救えるのか咄嗟には出てこなくてユリシアは焦る。刹那、テルミの身体がぶれて見えた気がした。それはまるで、精神と身体が分断されたような。
 止めなくてはいけない。思ったときには、身体が動いていた。
 その手に何かが握られている感触があって、それはいつもの大鎌と違ってとても小さかったけれど、迷わず、杖を掲げるトリニティの手に、両手で持ったそれを叩き付けた。
「っあぁ……!」
 大きな魔法に集中していたトリニティはそれに気付けこそしたけれど動けず、苦痛に小さな悲鳴が、トリニティの喉から溢れる。深紅が腕から垂れ、杖を取り落とし、カラリと地に投げ捨てられる。
 叩き付けられたのは、銀色に煌めくナイフであった。小さい姿でありながら、ずっしりと重い。けれど大鎌と比べ小回りの利くそれを握り直して、ユリシアはトリニティを見つめる。テルミが後ろで笑っているような気がした。が、
「な……んだよコレ、マジで何なんだよ!」
 その次の瞬間にはテルミがそう叫んでいる声が聞こえ、振り向けば。
 ――テルミとハザマの二人が立っていた。
 本来なら彼らは融合しており、見えるのはどちらかだけ。肉体はハザマのものであり、テルミはそれを借りて話すことしかできなかったはずなのに、だ。
「このクソ眼鏡ぇ! あのクソ吸血鬼に吹き込まれたか……!!」
 突然分かれて出てきたテルミに首を傾けるハザマと、憎々しげにトリニティを睨み付けるテルミ。つまり、ユリシアは一歩遅かったのだ。精神と、肉体が分断される。
 それがどれほどのことかユリシアには分からなかったけれど、記憶が告げている。
 これではあのとき、テルミが境界に封印された暗黒大戦時代と同じだと。精神が具現化してしまえば、触れられるのだから。
「……ごめんなさい。私には、こうするしか」
 切られた腕を強く抑えながら、トリニティは静かに謝る。敵だと理解して、その覚悟で来たはずのトリニティの、そういった甘さが逆にテルミを苛立たせた。
 ふつふつと燃えたぎる怒りに身を焦がされそうだったが、肺に侵入する冷たい魔素が、テルミを少しだけ落ち着かせた。
「……ここまでしたんだ。殺される覚悟があって来たんだよなぁ? んなら、今度は魂ごと切り刻んでやんよ!! ウロボロス!」
 黄金の目を見開き、テルミは叫ぶ。途端、空間を食い破って現れる蛇頭のついた鎖がトリニティに向けて射出される。目を伏せたトリニティが、絡めとられて噛みつかれるのを、テルミがそれで苛立ちを発散するのを、ただユリシアは見つめていた。



「準備整いました」
 ヤビコの統制機構支部。カグラ達の計画を進めるための準備が整ったことを、ヒビキは告げる。それに満足げにカグラは頷いて、ニッと歯を見せて笑うと口を開いた。
「よし、全階層都市に向けて通信を開始しろ。全世界の眼を集めるぞ!」
「カグラ、待て。問題が起きた」
 しかし、通信を開始しようとしたカグラ達に、突如制止の声がかかる。ココノエのものだ。問題とは何か、首を傾けるカグラ達にココノエ曰く、ラグナ達の所にレリウスが現れたとのことだ。
 レリウス=クローバー。狂気の人形師として畏れられる統制機構の技術大佐だ。カグラは殆ど話したことはないが、彼もテルミ達に関わっている人物の一員だ。それに彼がどういった人間かはココノエから聞かされていたし、ココノエの言葉がどういう状況を意味するのか、カグラはすぐに悟った。
 ラグナ達は無事なのか、慌て問うカグラに返される答えは、分からないというものだ。
 そして、テイガーは今使えないために、カグラ達の陣営から誰か向かわせることはできないかとココノエは問う。通信を行う二人の前に、現れたのはジンとツバキ、そして二人が護衛を任されている子供――ホムラだった。ツバキはあのコロシアムにてジン達により精神汚染を解かれ、カグラ達の居るヤビコに身を置いていた。
「何かあったのですか……?」
 カグラ達の焦った表情に、何かよからぬことが起きたのだろうと察してツバキは問いかける。
 それにカグラは振り返って、ああと相槌を打つ。言うかどうか迷うだけの猶予はなく、答えた。レリウスがラグナ達の所に現れたこと、そしてココノエの要望について。
「レリウス大佐が!?」
 途端、ツバキは目を見開く。レリウスは、彼女が帝達についていた時にもよく見かけた人物だし、彼が帝達についていることも知っていた。それに、彼の異質な空気はよく覚えている。
 ノエルも一緒なのだろうか。それなら余計に心配だ。ラグナ=ザ=ブラッドエッジはどうでもいいけれど、親友である彼女が一緒となれば――。
 頷き、肯定される。そしてセリカもだと告げられれば、彼女はますます驚いた。
その様子を見かねて、ジンが口を開く。
「行け、ツバキ。殿下の護衛なら僕一人で十分だ」
 ジンはノエルのことを毛嫌いしていたが、友を捨てろと言うほど外道なわけでもない。幼い頃から仲の良い彼女が友の所に行くのを止めるなどできるはずもなかった。
 しかしそれでも、ツバキは行っても良いものかと悩んでしまった。自分もホムラの護衛をしなければならないのでは。勿論、カグラだって勝手なことを言うなとジンを咎めているのだから。
「行くが良い。大切な友なのだろう」
 けれど、ホムラが優しくそう言えば、カグラもこれから帝に仕立てようとする彼女の言葉を止めるわけにもいかず。
「あ~もう、いいよ、行って来い、ツバキ。その代わり、状況が急激に動き出してる。何かあったらすぐに戻って来い」
「申し訳ありません。殿下、恩情感謝いたします……行って参ります」
 眉尻を垂れながらではあるがカグラが行けよと仕方なく言うのを受けて、彼女もまた頷いた。そして彼女はくるりと踵を返し駆けて行く。友のもとへ行くために。途中足は止めないまま振り返り、彼女はマコトにも伝えて――言いながら去って行った。
 それに頷き、ヒビキに彼女の言葉通りにすることを命じながらもカグラは緊張に汗を浮かべていた。何故か、彼女が去る少し前から嫌な予感がするのだ。一度態勢を立て直した方が良い。ホムラも部屋に戻らせるべきでは――。
「ここで良い」
 ホムラまで何を言い出すのか。思わずカグラは、礼を欠くのも忘れて口を出しそうになる。しかし、ぞっとする気配が唐突に背筋を撫で上げるのを感じて、口を開くのすら憚られた。ホムラのものではない。それどころか、ここに居た誰のものでもなく――。
「カグラ……『死』が来るぞ」
 ホムラがそう言った瞬間のことだった。
「……行かせたのか、それとも逃がしたのか……」
「な……」
 何故、叫ぶ声は動揺したヒビキのものだ。突如現れた人物は、幾重にも布を纏った――少女だ。幼さの残る、けれど威厳のある声は幽玄にして甘く。彼女が一歩歩み出るのに合わせ、カツンと硬質な足音が空間に響く。
「――サヤ」
 ジンが静かにそう呼んだ彼女は、足まで届きそうな長さの紫髪を頭の高い位置で纏めていた。背も高くなくどこか幼い風貌ではあったが、纏う雰囲気は高貴な人間のそれであり――それ以上に、ただならぬ威圧感があった。
 帝の名が相応しい存在感がありながら、カグラ達はそれを帝だと認めない。そんな彼女に振り返って、カグラは冷や汗を浮かべた。嫌な予感の正体はこれか、という納得を連れて。
 しかし彼女の出現に多少の驚きこそあったものの、正気付いて尚佇んだままで、上に立つ人間に対する仕草を見せない彼らに――彼女は薄く目を細めた。
「何をしておる? 余がわざわざ出向いてやったのだぞ。控えよ」
 上の者として当然の態度ではあったが、その高慢な態度に皆が眉を顰め、吐き捨てるようにカグラが皮肉げな挨拶の言葉を贈る。そして皆控えることもせず。ヒビキ以外の二人に至っては、言われた瞬間に各々自身の得物に手をかける始末だ。
「余は『控えよ』と申したのだが」
 そんなカグラ達の態度に少しだけ気分を害したように、眉根を寄せ、帝が手を上げる。傍らに佇む亡霊――ファントムは、それに呼応するように身を少しだけ揺らす。纏ったマントがひらりと一度翻ると同時だった。
 三人が、目を見開き、体をくの字に折り曲げる。膝が震え、今にも床に倒れ込みそうになった。しかし、帝もファントムも彼らに一切触れていない。
 だが、三人の立つ場所だけが異様に空気が重くなったのだ。重力陣。三人の足元と頭上に浮かび上がる計三対の魔法陣から放たれる力が、彼らに地を舐めさせようと、そして潰してしまおうとする。
「何だこの力は……!?」
 通信越しに叫ぶココノエ。彼女の方でも、何らかの数値が可笑しくなったのが分かったのだろう。しかし状況を説明するだけの余力は三人には残っておらず、返事のない彼らにココノエは机に拳を叩き付けた。
「冥王……」
 ホムラが小さくその名を漏らす。それを受けてやっとホムラに気付いたように帝は瞳を横に動かし、カグラ達からホムラへと視線の向ける先を変える。
「……お主が『テンジョウ』の子か。ホムラと言ったか?」
「おめぇ……何しに、来やがった……」
 成程。呟く彼女にカグラの声がかかる。膝に手をつくことで震える体を支えながら、苦しそうに少女を見上げて彼が絞り出す声に、冷ややかな帝の目が再度向けられる。
「言葉を慎め、十二宗家の者。ここが『統制機構』ならば余の所有物であろう。何故お主に断る必要がある」
 帝である自身の所有するここに、何故現れてはいけないのか。問う少女に、ケッと唾を吐くようにしてカグラは帝――冥王を睨み付けた。彼女を帝として認めていない。そう言う彼に、ほうと漏らして現帝はまた目を細めると、それで何なのだ、と問うた。
「それで? この者が真の帝だとでも申すのか。前帝であるテンジョウの子が?」
 この者、と指されたのはホムラだった。言った後、成程と帝は漏らす。カグラ達は統制機構が欲しいのだろう。尋ねれば「悪いかよ」という言葉でその考えは肯定された。
 その瞬間、彼女は口角を僅かばかり持ち上げる。
 この『帝』の物を欲するなど、なんと傲慢で、愚かしいことだろうか。しかしそれはとても『面白い』。――故に『手助け』してやろう。帝はそう言い、また手を掲げる。
 表情こそ変わらないし、口に出さないため誰もが彼女の所作の意味を理解できなかった。けれど、ファントムは彼女の考えを察したのだろう。再度身を揺らす。次の瞬間には、帝が口を開いていた。
「全『民』に告げる。余は『帝』なり……!」
 幽玄だと感じていた艶のある声は大きく、空間に響く。
 まだ繋いでいなかったはずの通信が彼女らにより繋がれたのだろう。確認用のモニターにはしっかりと彼女の姿が映し出され、そして同時にここより下層の都市――それどころか他の階層都市にまでもその映像と声は流れていた。
「たった今より余は『世界虚空情報統制機構』の全権を『天ノ矛坂焔』に譲る。この時、この瞬間より、この『ホムラ』こそが帝である!」
 そうして映し出されるのは橙の着物をまとい、烏帽子を被った子供。ホムラだ。
 そこでようやく、通信がジャックされたことに気付きヒビキらが声をあげるも、時すでに遅し。驚きに気が緩んだ彼らを待ち受けるは、黙らせようとする魔法による制裁。呻きをあげながら止めることもできない彼らの目前で、彼女は彼らに目もくれず、歌うように続けた。
「余は寛大だからな。『統制機構』などお主らにくれてやろうぞ。描いた理想を求めて法を布(し)き、望んだ栄誉のために足掻くがよい」
 それは民に向けているようにも、ここにいるカグラ達への皮肉のようにも聞こえた。彼女はふっと笑いを零す。統制機構など彼女にはどうでもよかった。都合の良い駒の集まる場所でしか。
 統制機構という組織のもとで、自身に尽くした民や衛士らに一種の愛しさこそおぼえたけれど。
 ただ、彼女――『冥王・イザナミ』は。
「そなたたちの忠実な働き、余は深く感謝している。よって、その忠義に報い……この座を去りし余から褒美を与えよう」
 生きとし行ける者全てへ等しく与えられるべき至上の安息。至上の安寧。至上の平穏。――そして、至上の『終末』。そう、死を与えると彼女は語り微笑んだ。
 自身には生まれつきありながら、与えられることのないその終わり。彼女こそが『死』そのものであった。マスターユニットのドライブであり、マスターユニット(神)すらも殺そうとする存在。



「クク……さすがは帝。素晴らしい演説でした」
 では、私も。
 そう言って、彼は微笑むと『碧の魔道書』を起動する。全ての魂を回帰させるために。
 集まる蒼い光は、イブキドの中央にある窯の上、巨大な黒い塔――モノリスへと。光がはしる。命の光が集まるその景色はとても幻想的で、壮観だった。

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